「こだまでしょうか…」

毎日毎日、溶けるような暑さ。
お盆前ということで、追い込みをかけている鈴木です。

 今はまだ子ども達が小さいので
お休みの間は、極力仕事から離れ、子どもたちと出来る限り多くの時間を過ごせるようしてるんやけど、子どもって…見てるだけ…会話を聞いてるだけ…で面白いなぁ~と。

家の周りにも同世代の子どもたちが多く、色んな子ども達の言動を眺めてるとホント面白い。

 何がどうなって、そんな言葉覚えたの? って思うことや。

あ~嫁さんの口癖そっくりやな。とか。

 あ~あの人の口調そっくりやな。とか。

最初はワ~キャ~いいながら遊んでても
ちょっと時間がたつと泣き出す子が出てきたり。

 何らかの問題が発生したトキ

 泣き続ける子

 ヨシヨシと励ます子

 自分の世界に入り込み、我関せず的な子


 そんなのを眺めてると
東日本大震災のトキだったっけかな???
 ACのCMで流れてた金子みすずさんの詩を思い出す。

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「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。

 「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。

 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。

 そうして、あとで さみしくなって

 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。

 こだまでしょうか。
 いいえ、誰でも。

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 子どもたちって、ほんとこの通りだなと。

この「金子みすず全集」を手がけた矢崎節夫さんの解説によると

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こだまとは、“丸ごと受け入れる“ことです。
 かつてのすてきな大人たちは、こだましてくれる人達でした。

 ころんで「痛い」といった時 両親は「痛いね」と、私の痛さを丸ごと受け入れてくれて、返してくれました。

 こだまは、「ヤッホー」といったら「ヤッホー」と半分の大きさになって返ってくるわけですから、「痛いね」と返してくれた時、 私の痛さは半分になることができたのです。

 しかし、今、私を含めた多くの大人が、こだますことをしないで、一方的に否定し、一方的に励ましてはいないでしょうか。

 ころんで「痛い」と いった時、「痛くない」といっていないでしょうか。 すぐに「がまんしろ」といっていないでしょうか。

 “このお父さん、お母さんなら愛してくれると思って生まれてきてくれた小さい人たち“の痛さを否定し、励ますだけで、一度もこだましてあげることをしなければ、痛さは消えることなく、生のまま、こころの中の辛さやさみしさや痛さという器に、押し込めるしかないのです。

 そして中学生くらいになると、その器が一杯になってしまう子がいるのです。

 その子が新しい辛さや痛さに出合った時、もう入れることができませんから、一度、思い切って、その器をひっくり返して、からにするしかないのです。

 未来ある人達を、そんな状態に追い込んだのは、私達大人です。

 私が子供だった頃、大人という人たちは、人の喜びを自分のことのように喜べる人達でした。 人の悲しみを自分のことのように悲しめる人達でした。

 今、私達は自分は自分。 他人は他人と分離してしまいました。

 私達のまわりはすべて、光と影のように、昼と夜のように、見えるものと、見えないもののように、二つで一つなのです。 二つで一つということを、きちんと認識する行為が、こだまなのです。

人と人が、人と自然が、自然と地球が、こだまし合う世紀です。 小さい人だけでなく、歳を重ねた人たちにも、こだまし合える自分でありたいと思います。

 「金子みすずのこころ」参照

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 なるほどなぁ~と。。。

 子どもならまだしも、大人になってもチェリーピッキングして自分の行為を正当化したり、他人のせいにしたり…。自分を護ることだけで精一杯になってる人も居たりするもんね。

 毎日毎日、「子育て」という勉強をさせていただいてるけど
人の喜びを自分のことのように喜べ
人の悲しみを自分のことのように悲しめる 「のび太くん」のような子どもに育ってくらたらなと。


そのためには「こだま」やの。。。


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